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一神教の弊害にみた日本の優位性 [思惟]

日本はもとより、古来の人々の宗教は、(というか当時は「宗教」という概念・定義がないだろうから、「文化」そのものなんだあろうけど)、多神教だったわけです。

エジプト文明の神々、ギリシア・ローマの神々、古代インドの神々、アメリカ・インディアンの神々、そしてもちろん、日本の八百万の神しかり。。。

そこにはきっと、まだ未熟な文明ゆえに、自然に翻弄され、自然の脅威が身近で、一方で自然の恩恵を身に沁みて感じていたからこそ、太陽の神、大地の神、風の神、山の神、海の神など、多様な神々が、人々のすぐそばにいたのでしょう。

そのことを端的に示したのが、宮崎駿『もののけ姫』かもしれません。

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しかしその後、文明が発達するにつれて、人々は自然を抑え込み、コントロールし、駆逐するに至りました。
ちょうどそのころから興り始めたのが、同じ“根”をもつユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教です。

一神教のもとの自然は、畏怖畏敬を抱き共存するべきものではなく、克服するものとされました。
そして、その延長は、自分の信じる神が正義、他は邪教という、自己中心の思想です。

自らが信奉する神以外を崇める人々は間違っている、直してあげよう、改宗させてあげよう─。こんな余計なお世話から端を発した思想が、十字軍時代の宗教戦争から現代の中東問題、テロとの戦いの根底に流れているのです。

そんな世界情勢のなか、日本は特別です。
現代の日本は、「なんの宗教を信じてる?」と聞いたら、「えっ?別に・・・」という人が大半でしょうが、とは言え、お神輿を担がれるお祭りを楽しみ、お盆がどんな意味があるのか漠然と知り、年末には除夜の鐘、年が明ければ、神社に初詣、賽銭を投げ入れ、かしわ手を打ちます。

「宗教なんて信じてないよ」という日本人が多いなか、それでも古来から続く神道仏教を、認識すらしないレベルで、もはや生活様式というか、生活文化として、当たり前のように受け入れているのが、今の日本、今の日本人なのです。

そんな日本人だからこそ、一神教同士の「オレの神を信じろ!」的な押し付け合いは、「何をそんなに争ってるんだろう?」「仲良くやりゃぁいいじゃん」と、思えてしまいます。

これは、一歩も間違えば、「なぁなぁ」の馴れ合いというか、いい加減というか、ハッキリしない優柔不断な態度のように見られがちです。しかし、これは断固として違うのです。この「日本人らしさ」というか、日本人的思想の特異性は、今後さらに価値観が多様化が進む現代の世において、大きなアドバンテージとなり得る思考だと思うのです。

以前に紹介した梅原猛氏の本『梅原猛の授業 仏教』にも多神教に触れ、
「多神論は正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は,正義の徳より寛容の徳,あるいは慈悲の徳であると思います」とあります。

まさに、そのとおりでしょう。
それぞれが信じる神を、寛容の徳をもって、認め、受け入れていくことが、これからの多様化する世界において、共存共栄していく唯一の道なのでしょう。

そこへ日本の、日本人の特異さがもつ優位性は、今後さらにもっと必要とされていきます。

軍事力もなければ、経済力も陰りが見え、発言力もない日本ですが、精神的優位性を説き、世界をリードしていってほしいものです。
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